メディアジャパン学園ブログ

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2005/08/01

日本体育大学ソフトボール部は不滅です

先週末からソフトボールづいている。土曜日は日本体育大学女子ソフトボール部の同期会が一宮であった。

2年前は北海道旅行だったが、あいにく私はガンのため入院中だった。

今回はみんなが気を遣ってくれて、一宮で開催することになった。地元の開催なのに私の身体を気遣ってマネージャーの小林がいろいろ準備をしてくれていた。

私たちの学年は12名、今回は9名が参加した。とても出席率がいい。20年近く会っていない子もいて、とても懐かしかった。

しかし、みんな変わってなかった。相変わらず会うなり昼食からビールを飲み、そのあとの喫茶店でもビール、夜の宴会でもビールに日本酒、そして二次会のスナックでは焼酎。

歌って飲んで、記憶はバーコード。朝起きたら、やばい二日酔いの勢いだったから、急いでカプセル岩盤浴に入って汗を搾り出した。かろうじてセーフ。

うちの学年は女性と思えないほど学生時代には恐ろしいほど飲んでいた。普通の女性が一生の間に飲酒する量の何百倍は大学の4年間でペロリと飲んでいると思う。それだけではなく、負けず嫌いの集団だったから、めちゃめちゃ根性があった。つくづくこの学年でよかったと思う。

翌朝は愛知(名古屋?)名物の喫茶店のモーニングに案内した。さすがにビールは注文しなかったが、そこで昔話に花が咲いた。モーニングの時間だったのが、気づいたらあっという間にランチの時間になっていた。よくしゃべる迷惑なおばさん集団だ。

大学時代もお陰様でチームメイトに恵まれていた。ジャパンのエースだったピッチャーの渡辺とバッテリーを組めたし、名ショートの奥がいたし、先輩たちから続く全日本大学選手権(インカレ)は6連覇できて、4年間負けなしだった。

世界大会のタイミング的にはついていない面もあったが、国内では日本選手権や全日本一般女子、国体と大きな大会でいい成績をあげることができた。

2年間の合宿所暮らしを経て、3年生から一人暮らしをしたが、富士見荘というアパートに奥と隣同士の部屋を借りた。ここが後輩たちにとっては、身の毛もよだつ場所になっていた。後輩達はその当時、富士見荘とは呼ばず、鬼が城の青鬼・赤鬼と呼んでいた。

青鬼はキャプテンの奥、いつも青いジャージをはいていたから。赤鬼は副キャプテンの私のこと、赤いジャージをはいていたから。

自分たちで言うのも何だが、本当に負けず嫌いの集団でよくもこんなに揃ったなというくらい、おまけに生意気で1つ上の学年より態度がでかかった。上下関係の厳しい体育会系で先輩より態度がデカイのはそうとうなものだ。

やはり私たちが勝ち続けることができたのも、走ることひとつとっても誰にも負けたくない気持ちでやっていたし、練習以外にももちろん個人練習をしていた。

夏は炎天下の中でも、1時間半はランニングやダッシュをしていた。それが終わらないとキャッチボールに入れなかった。冬は冬で毎日長距離をハイペースで走っていた。あの頃に戻りたいかと聞かれたら、もちろんNOと答える。

しかし、あの地獄のような4年間があったから社会人になってからもどんな辛いことも乗り越えられた。あの頃のことを思えば、どんなに困難と思われることもガンも屁でもない。

日本体育大学ソフトボール部とチームメイトのお陰だ。

奥、小林、ナベ、とみ、カヨ、ゲン、なおみ、徳さんありがとう。また、2年後今度は東京で会いましょう。

では、大学4年の時の写真をご覧ください。

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